2つの地点にある時計の同期を問題にしたアインシュタインの有名な「時計合わせの思考実験」は
・観測者が時刻を記憶しておくメモリを持っている
・観測者間で時刻情報をやりとりする通信手段を持っている
を暗黙に仮定している.この隠れた前提条件を少しだけ変更して,もし観測者が時刻を記憶するメモリは持っておらず通信手段だけを持っていた場合,どのような時計合わせのプロトコルが考えられるだろうか.
1. アインシュタインの時計合わせの思考実験
1−1. 2つの地点にある時計の同期を確認する方法
1905年に発表された特殊相対性理論の代表的な論文1A. Einstein, “On the electrodynamics of moving bodies”(English translation), Annalen der Physik 17, 891 (1905)の中で,アインシュタインは,空間的に離れた2つの時計を光信号をやり取りすることで同期させるという思考実験を考えた.時計
を持つ観測者
(
)が時計
を持つ観測者
(
)と通信を行い,2つの時計が同期していることを確認する.よく知られているように2つの時計が同期しているためには,次の条件を満たせばよい.
(1) ![]()
最初の光信号は,時計
が示す時刻
に
から発信され,時計
が示す時刻
に他の観測者
(
)に到達する.その後,
は
に向けて光信号を送り返し,
は時刻
に
からの光信号を受け取る.

ここでそれぞれの観測者は,2つの時計の同期基準(1)を計算するために必要なデータ
のうち,不足しているデータ2
にとっては
,
にとっては
が不足データになるをなんらかの通信手段によって相手に伝えないかぎり時計の同期を確認することができない.時計の同期基準(1)を計算するには以下のプロトコルのうち,どちらかを実行する必要がある.
①
と
が実験終了後にどこかに集まり不足データを伝えあって同期基準(1)を確認する.
②
から
に向けて光信号を送る際に,時刻
の情報を光信号に載せ,不足データを
に伝える.
①の場合,観測者間の距離が光年単位で離れているようなときには観測者の物理的な移動に時間がかかり,現実的な実験プロトコルではなくなってしまう.そこで②を採用して,
から
に向けて時刻
の情報を光信号に載せて通信する場合を考えよう.
1−2. 情報伝送速度
②を選択する場合,情報の伝送には必ず有限の時間がかかることに注意しなければならない(通信路符号化定理).時刻
の情報を送信する際,単位時間当たりの情報伝送速度
は必ず通信路容量
を下回る必要があり,情報は一瞬では送信できないことが導かれる.
(2) ![]()
ここから,
から信号を受け取ると
はただちに信号を返すことができる,と仮定していたオリジナルの思考実験を修正する必要が生じてくる.この議論は,結局,ローレンツ変換の修正に帰着する.こうした議論が細谷暁夫と藤井俊介らの論文3Akio Hosoya and Shunsuke Fujii, “Informational Theory of Relativity”, Progress of Theoretical and Experimental Physics, Volume 2018, Issue 11, November 2018, 113E02で展開された.

ビットの情報通信にかかる時間遅れの効果により,
が光信号を受け取る時刻
は時刻
から
(3) ![]()
のように補正される(ここで
は
ビットのメッセージを送信するためにかかる時間長,
は1ビットのメッセージを送信するためにかかる時間長とする).ここで情報圧縮率
と情報伝送速度
は次の関係になっている.
(4) 
ただし,
.つまり,
が光信号を受け取る時刻
は確率的に揺らでいる.
ここから冒頭にあらわれた
式は次のように書き直される.
(5) ![]()
また
の持つ時計と
の持つ時計が同期していた場合,観測値
,
と空間座標
の関係は
(6) ![]()
となる.ここでさらに時間長
を定数と仮定すると
(7) ![]()
の関係が導かれる.よく知られているように,
の線素(の期待値)を考えると
(8) ![]()
が成り立ち,
のパラメーター(この場合は空間座標
)にかかる係数としてフィッシャー計量
があらわれる.
このように本稿では,原論文とは異なり,情報符号化定理の観点から情報圧縮率
を導入してみた.筆者には,むしろこちらの形式の方が相対論に確率や情報幾何的側面を自然に付与できるように思われる.